吉田松陰
よしだしょういん
長州藩士。明治維新の精神的指導者。人材育成の面で、優れた教育者でもある。幼少のころ、叔父の玉木文之進が開塾した松下村塾で、節としての教育を受ける。のち、江戸にでて佐久間象山に指事。
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年表
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
---|---|---|
1830年09月20日 | 0歳 (あと29年) | 吉田松陰、生まれる |
1854年04月24日 | 23歳 (あと5年) | 吉田松陰、密航をはかるも失敗 |
1859年05月21日 | 28歳 (あと6ヶ月) | 【安政の大獄】吉田松陰、江戸送致が長州藩に下達される |
1859年11月21日 | 29歳 | 吉田松陰、斬首 |
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写真
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エピソード・逸話
教科書には載っていない興味深いエピソードの数々。
- 幼少の頃より天才として知られる。わずか9歳で、長州藩の藩校「明倫館」で山鹿流兵学の講義をしていた。藩主である毛利敬親に兵学講義をしたのは、11歳のときである。
- 安政の大獄の最後の犠牲者である。
- 井伊直弼は、仁政の藩主として彦根藩外でも有名であった。評判を聞いた吉田松陰は、「希代の名君」と日記に書き残している。後に吉田松陰は、井伊直弼が強行した安政の大獄により刑死に追い込まれた。
名言・辞世の句・最後の言葉
吉田松陰が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」
- 「諸君、狂いたまえ。」
- 「満開となれば、やがて花は落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。」
- 「人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。」
- 「宜しく先ず一事より一日より始むべし。」
- 「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。」
- 「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」
- 弟子である高杉晋作の「男子たるもの死すべきところはどこなのか?」という問いに答えたもの。この年に松蔭は処刑される。
- 「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
- 「学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。したり止めたりであっては、ついに成就することはない。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」
- 意味は「自分で自分の言動を顧みて、正しいと思うのならば、たとえその道を一千万人が塞ぐことがあろうとも、私は全うする」
- 「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は問題にならない。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「君子は、何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。小人は、何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。」
- この後は続く言葉。「わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。」吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「私心さえ除き去るならば、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「志定まれば、気盛んなり。」
- 「汝は汝たり、我は我たり。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「世に材なきを憂えず、その材を用いざるを患う。」
- 「だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである。」
- 「ただ非常の人のみ即ちよく非常のことを為す。」
- 『無逸に与う』より
- 「権謀と申すは実は無策なれど策ある貌(顔)をし、直言極論はせざれども直論貌(顔)をすることなり。」
- 入江杉蔵宛書簡より。意訳『権謀というのは、なにも策などないくせに策があるように思わせ、面と向かって言及などしないくせにそうしているように振る舞うことである。』
- 「一人の策を積みて一家の策を為し、一家の策を積みて一国の策を為し、一国の策を積みて天下の策を為す。御努力これ祈る。」
- 兄 杉梅太郎宛の書簡より。内容は「社会を変えていきたいのであれば、 まずは己の周辺から始めなさい」
- 「世の人は善し悪しごとも言わば言へ。賤が心(自分の心)は神ぞ知るらん。」
- 白井小助宛の書簡より
- 「あまり怒りよると、とうとう腹もなんにも立たぬようになる。」
- 入江杉蔵宛の書簡より
- 「君子は、理に合うか否かと考え行動する。小人は、利に成るか否かと考えて行動する。」
- 「賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「17、18の死が惜しければ、30の死も惜しい。80、90、100になってもこれで足りたということはない。半年と云う虫たちの命が短いとは思わないし、松や柏のように数百年の命が長いとも思わない。天地の悠久に比べれば、松柏も一時蠅(ハエのような存在)なり。」
- 品川弥二郎宛の手紙より
- 「牢獄で死ねば禍いのようだが、この場所で学問をし、己のため、他人の為に後世に伝えることを残し、身は失っても死にはしない人たちの仲間入りすることができるならば、この上もない福というもの。」
- 妹・千代宛の手紙より。吉田松陰の江戸送致が決まる直前である。
- 「死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。」
- 高杉晋作に送った言葉。吉田松陰は牢獄の中であった。
- 「父母を喜ばせるために妻を持ち、宮仕えするのもよいでしょう。但し、正論を通しなさい。ならば必ず放逐後退の時期が来る。その時に書を読み、心を練り、十年後の大事に備えるのです。」
- 高杉晋作に送った言葉
- 「小生、獄に坐しても首を刎ねられても天地に恥じ申さねばそれにてよろしく候。」
- 中谷正亮宛の書簡より
- 「命が惜しいか、腹が決まらぬか、学問が進んだか、忠孝の心が薄く成ったか、他人の評は何ともあれ、自然と決めた。」
- 『自然説』より。(入江杉蔵宛)
- 「末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。」
- 吉田松陰『講孟箚記』より。
- 「大器を作るには急ぐべからずこと。」
- 「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、 一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。」
- 「草莽崛起(そうもうくっき)」
- 草莽は「在野の志士」、崛起は「立ち上がれ」の意。
- 「心甚だ急ぎ、飛ぶが如し、飛ぶが如し」
- 父の友人である瀬能吉次郎にあてた手紙より。吉田松陰の興奮が伝わる前後の文は以下。「浦賀へ異船来たりたる由につき、私ただ今より夜船にてまいり申し候。海陸ともに路留めにも相なるべくやの風聞にて、心はなはだ急ぎ飛ぶが如し、飛ぶが如し。」
- 「山は樹を以て茂り 国は人を以て盛(さかん)なり」
- 意味は、「山が樹木によって茂るように、国というのは人によって豊かになっていくのである。」
子孫
※参考:『月刊歴史百科』創刊号(1980年)など
- 吉田衛
- 経済・工業奨励館館長。
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