明治以降の浮世絵という珍しいテーマ
浮世絵といえば“江戸時代の芸術”というイメージがありませんか?実際、浮世絵の展覧会でもメインとなるのは江戸時代の作品。幕末や明治時代初期の作品も近年特に注目を集め人気も高まっていますが、明治中期や大正時代の浮世絵作品に触れる機会というのはなかなかありません。浮世絵研究の世界でも明治以降の作品というのはあまり研究が進んでいないんだとか。
で、今回の太田記念美術館の『ラスト・ウキヨエ』展が扱うのが、その知られざる明治以降の浮世絵作品たちなのです。
明治の浮世絵師といえば、「最後の浮世絵師」とも呼ばれる月岡芳年や河鍋暁斎は知名度も高く展覧会でも人気の絵師です。『ラスト・ウキヨエ』展には芳年や暁斎だけでなく、これまであまりスポットを浴びることのなかった総勢37人の「最後の浮世絵師」たちの作品が多数展示されていました。浅学ながら初耳の絵師もいて本当に楽しかった。
では特に印象的だった作品をいくつかまとめました。
カミナリさま、暴れすぎ
画面を切り裂くようなすさまじい雷に人々が慌てふためいています。飛び上がったり、ヒックリ返ったりの大騒ぎ。その騒ぎの原因をつくっている張本人のカミナリさまが、画面右上、黒雲のなかからちょっぴり顔をのぞかせています。こういう茶目っ気が暁斎らしい。
河鍋暁斎が即興で描いたと思われる梅の肉筆画も展示されていたのですが、さっき描いたんじゃないかと思うくらい筆跡に生々しい迫力があり、圧巻でした。
暁斎の娘・暁翠(きょうすい)の作品もありました。
色鮮やかにして繊細
あの父にしてこの娘あり、という画力の高さに見惚れてしまいます。暁翠は女子美術学校において日本初の日本画女性教授になったすごい人なんだそう。
月岡芳年の作品はやはり何度見ても楽しいし、唯一無二の魅力にあふれていました。
炎が生み出す陰影がすごい
描かれているのは『日本書紀』『古事記』に登場する悲劇の姫・狭穂姫(さほひめ)にまつわる物語のクライマックスシーン。天皇暗殺を企てた兄に殉じて炎のなかで命を落とす狭穂姫の覚悟した表情、姫を包む業火、討伐軍を照らす炎の陰影……映画のワンシーンを見るかのようなドラマティックさ。
尋常じゃない波
満月を飲み込むような漆黒の大波に対峙するのは武蔵坊弁慶。巨大な波となり義経一行の行く手を阻もうとするのは平家の亡霊なのですが、芳年はあえて亡霊は描かず、その代わりになんだか不気味でどう見ても普通じゃない波を描き、見る人に亡霊の存在を予感させています。ニクい演出です。
疾走感がハンパない
仇討ち物語で有名な曽我兄弟の弟・五郎くんが兄のピンチを救うために馬に飛び乗り疾走中。馬にはあえて彩色せず荒々しい筆のタッチを生かすことでとんでもない緊張感と疾走感をうみだしています。タイトル文字の躍動感もすごい。力の入った筋肉の表現とか、さすが芳年という感じです。
こんなことを言ってしまうと身も蓋もないのですが、やはり芳年は別格感がありますね(あくまで個人の感想です)。
さて、歌川国芳の門人で子ども向け浮世絵(おもちゃ絵)の名手として知られる歌川芳藤の作品はこちら。
かわいいウサギによるガチンコ相撲対決
明治初期にペットとしてカイウサギが大人気となり、そのブームを受け「兎絵(うさぎえ)」と呼ばれるウサギをメインにした浮世絵作品がたくさんつくられたそうで、こちらもそのひとつ。みんな毛の模様が違っている芸の細かさ!
お次は国芳の門人の息子さんで、自身は月岡芳年に師事した二代目歌川芳宗(よしむね)。浮世絵作品だけでなく新聞や雑誌の挿絵なども手がけたそう。
奥深い雪の表現
画面中央で祈るのは僧の日蓮。流刑地の佐渡は雪深いようで、まるで綿のような雪がこんもりと覆っています。画面のほとんどが白で埋め尽くされた作品ですが、単純な白ではなくよーく見ると微妙なグラデーションになっていたり、エンボス加工のような空摺(からずり)が施されていたりとても表情が豊か。画面で見るのと実物を見るのとではまるで違う作品なのでぜひ肉眼で。
さて、チラシにも採用されているインパクトある天女を描いたのは右田年英(みぎたとしひで)という絵師。明治から大正にかけて活躍した人物で、月岡芳年に師事しました。
新しい時代の天女さま
こちらがチラシにも登場している天女さまです。「羽衣伝説」のクライマックスシーンを描いたものですが、もはや江戸時代の浮世絵とはなにもかも違っているようで驚きました。こんなサーモンピンクを使った作品、初めて……。全体的にとにかくモダン。
大正時代ともなれば伝統的浮世絵文化は衰退の一途をたどっていたのですが、これを憂いたのがこの右田俊英。俊英は1921年(大正10年)に職人技術の結晶ともいえる伝統的木版錦絵を後世に伝えるため「年英随筆刊行会」を創設し、毎月2枚ワンセットの錦絵「年英随筆」を出版したんだそう。
先ほどの天女さまのほか『年英随筆 猿曳』という作品も展示されていたのですが、こちらもとてもよかったなぁ。
主役は烏天狗
権力におごる鎌倉幕府の執権・北条高時の前に烏天狗が現れあざ笑っています。『北条九代名家功(ほうじょうくだいめいかのいさおし)』という有名な歌舞伎作品のワンシーンです。もう、とにかく烏天狗が圧巻。色合いの強さが違う3タイプの烏天狗にこの世ならざるモノ感が漂います。そして羽根と髪の毛の細かさ! この技術が失われるのを年英が憂いたのも納得です。
ちなみに年英の師・月岡芳年も同じシーンを描いているのですが印象が全然違っておもしろい。
師の描く烏天狗はサイケなうえに外国人風です。
また、「浮世絵を再利用したカレンダー」というハイカラなものにもお初にお目にかかりました。展示されていたものとは違うのですがこんな感じ。
浮世絵美人とアルファベットの組み合わせがいい!こちらの浮世絵を描いたのは水野年方(としかた)という明治の浮世絵師。月岡芳年の後継者でもあります。
で、このカレンダーなのですが、横浜にあった川俣絹布製錬(現・川俣製錬)という会社が欧米諸国のお得意さまに贈ったものだそうで、販促グッズの一種。商品と商品の間にそっと挟み込んで送ったというのがまたニクい。
明治の絵師ながら大奥や江戸城内でのイベントを描いた作品で知られる揚州周延(ようしゅうちかのぶ)の作品もたくさんありました。周延、いいですよね〜。
チラリズムの美
画面構成のおもしろさもさることながら、注目は足元。チラリとのぞく足元の角度や描き方にフェティシズムを感じます。あと、雨に濡れて透ける赤い襦袢が色っぽい。2匹の子犬がよく見るとブサカワなのもポイントでした。
息をのむほど美しい
周延の代表的シリーズで、江戸時代から明治時代にかけての美人たちを大首絵(バストアップ)で描いたもの。美しいですねぇ。淡い色合いもおしゃれな着物もステキです。でもなによりすごいのがこの髪の毛。拡大してみましょう。
これ版画ですよ!? 彫師と摺師の技術すごすぎませんか!? ひと房の髪の毛から透けてる手とかすごすぎませんか!?!?周延は美人画が有名ですが、ちびっ子を描いた作品もものすごくかわいかったです。子どもの肌が見るからにムッチムチでね〜。
誰にも師事せず独学で絵を習得した尾形月耕(げっこう)は、明治から大正にかけて活躍した絵師で、新聞挿絵が人気を博したほか、海外の万博でその作品が高く評価されたんだとか。
古典的画題もモダンに
はっきりした彩色で描かれた人物とまるで水彩画のような背景。水彩画みたいですがこれも版画です。ちょっと信じ難くてめちゃくちゃ近寄って見たりしたのですが、やはり版画とは信じられませんでした。彫りもさることながらどうやって摺ったらあんな風になるのか気になります。
画像左奥に洋傘があったり、中央の女性が亀といっしょに持っているおもちゃがモダンだったり随所に明治という新しい時代を感じます。
亀戸天神の太鼓橋と藤といえば風景画の画題として江戸時代から人気。特に有名なのはこちらの作品でしょう。
風景画の巨人・歌川広重の傑作『名所江戸百景 亀戸天神境内』。藤の花を大きく手前に描く大胆な構図が目をひきます。
同じ風景を描いた作品ですがこうやって比べてみると、時代の空気の違いを感じさせるのがおもしろいですね。
こちらも月耕の作品。
サイケなゴーヤ
ゴーヤが主役というのがまずびっくりですし、メキシコ国旗みたいなカラーリングに二度びっくりでした。
さて、みんな大好きな「最後の浮世絵師」小林清親といえば、光と影が印象的な「光線画」が有名ですが、今回展示されていたのは日清戦争を描いた戦争画。これがまたものすごい表現の作品で感嘆しました。こちら。
タイタニックで見たことある
日清戦争での黄海海戦が描かれているのですが、暗い海に沈んでいく艦船をこんな風に描く発想力に脱帽。海面でもがく人々、力尽きて海中に沈みゆく人々……淡いタッチが逆に凄惨さをきわだてるようです。「戦争絵」といえば見るひとを鼓舞するような勇ましいものが多いのですが、ものすごく切ない気持ちになりました。
次は安達吟光(あだちぎんこう)。師系が不明な絵師ですが、役者絵や美人画、名所絵、戦争絵などさまざまなジャンルの作品を残した人物です。
『東京名所花競』という東京の名所を描きながらも主役は花、という斬新なシリーズの作品がおもしろかったですね。展示されていたのとは別のものですが、同じシリーズのひとつがこれ。
上野の不忍池を描いた名所絵なのですが、とにかく蓮の主張がスゴイ。たしかに不忍池の蓮は現代でも大人気ですが、それにしても蓮の圧がスゴイ。
お次は、やわらかなタッチの美人画や子どもの絵で人気の高い明治の絵師・宮川春汀(しゅんてい)。
雪だるまが気になりすぎる
一面の雪景色のなか、子どもたちが元気に遊んでいます。竹馬に乗る子、裸足ですが寒くないんでしょうか。いや、それより気になるのは画面右奥の雪だるま。なんだろ……このゆるキャラっぽさというかベイマックスぽさというか。
夢のなかにいるような
東京の名所を背景に描いたシリーズものなのですが、主役のはずの背景がもはやどこかわからないレベルで淡く描かれているのがスゴイ。ひとりたたずむ少女がまるで夢のなかに迷い込んでしまったかのような幻想で儚い印象を受けます。
お次は日本初のグラフィック雑誌『風俗画報』の挿絵を手がけたことでも知られる山本昇雲(しょううん)。
明治、大正、昭和と3つの時代をまたにかけ活躍した絵師です。その山本昇運の代表作ともいえるのが『今姿』という美人画シリーズ。今回の展覧会でも数点が展示されていましたが、江戸時代の浮世絵とも近代の日本画とも違う独特の雰囲気を持つ美人画で非常に美しかった。
その目にくぎづけ
美人2人組が窓からのぞいているようにも見えるおもしろい構図。ちなみに背景に描かれているのは吉原で、タイトルの「三すじ」とは三味線のこと。女性の手にも三味線の棹が見えています。
こちらの美人画、なんとなーく伝統的な美人画と違うな……という第一印象を受けたのですが、その理由がこれでした。
そう、目。目の表現が伝統的美人画の目と違うのです。眼球に光があるのです。あと、全体に描線が柔らかいんですね。まつ毛とか目の輪郭とか。人物がにおいて目ってとても印象を左右するんだな、と改めて思いました。
ん?なになに??
おなじみの昔話『かちかち山』のウサギとタヌキ。背後に火打石を隠し持ったウサギのすっとぼけた表情がなんともいえません。あとムチムチの脚がかわいい。タヌキが腰に「火用心」のお守りをぶら下げているのがなんとも物哀しい……。
さてラストは明治の絵師・市川甘斎(かんさい)。生没年不明、経歴不明、現存作品少数という謎だらけの人物です。ですが展示されていた作品がめちゃくちゃインパクトが強かった!こちら。
なんか絵本で見たことある!
まんまるボディとふてぶてしい表情、どこかユーモラスな雰囲気も漂うタッチは、なんだか洋書の絵本のよう。あ、あれだ…『ふたりはともだち』のガマくんとカエルくんに似てるんだ、とこの作品を眺めならが気づきました。こんな楽しい絵を描く人、他の作品ももっと見たいなと切実に思いました。
展示されている作品すべてに共通しているのですが、江戸時代の浮世絵と一番違うのはやっぱり色でしょう。ビビッドな赤や青、ピンクやムラサキなどは新しい時代を感じさせます。あとパステルカラーで柔らかいタッチの作品が多いように思いました。
今回訪問したのは「前期」の展示なのですが、「後期」は展示作品をまるっと入れ替えるそうなので後期にもぜひ行きたいですね。