息づまる攻防
ガキーン! フンッ!! という音や息づかいが聞こえてきそうな緊張感あふれる1枚。
一瞬の動きを切り取りデフォルメした構図は芳年の真骨頂。甲冑をまとった男性のありえないほど体を反らせたポーズは非現実的ですが、それがかえって攻防の激しさ、筋肉の躍動を感じさせます。対する赤い着物の少年の軽やかさ。剛VS柔をこれほどカッコよく描く月岡芳年はやはり天才です。画面を斜めに断ち切るように描かれた薙刀(なぎなた)がまたいいです。
表情の対比も秀逸なので拡大してみましょう。
顔も指先も全身力みまくっている男性に対し、白くて細い腕ながら少年は涼しげな表情で応戦しています。
この少年は一体誰なのでしょうか?
少年は「牛若丸」。日本人に昔から判官びいきされている源義経の若き日の姿です。水もしたたる美少年。その牛若丸と対峙するのは伝説的盗賊・熊坂長範(くまさかちょうはん)。長範は東北地方へ向かう牛若丸一行を狙い夜討ちをしかけるも返り討ちにあったといいます。
先の浮世絵はこの逸話を描いたもの。このバトルは謡曲や浄瑠璃に脚色され人気を集めました。
『芳年武者无類』には義経を描いたものがほかにも2枚あります。そちらもどうぞ。
宿命のライバル対決
ちょっとわかりづらいですが、海上での戦闘真っ最中。
『平家物語』でのクライマックス「壇ノ浦の戦い」における源義経VS平教経(のりつね)の大バトル。義経がいわゆる「八艘飛び」を披露しピョンコピョンコと逃げていったあのシーン。
荒れ狂う暗い海ともうもうと湧き上がる赤い煙が興奮を煽ります。
逃げる義経に手を伸ばしているのが平教経という武将なのですが、この人、『平家物語』で抜群にカッコよく描かれています。貴族色に染まってへなちょこのイメージのある平家軍にあって教経の強さは異彩を放ち、平家軍随一の猛将として、義経のライバルとしてキャラたちまくってます。壮絶な最期がまた震えるほどカッコイイ。
源氏と平氏による最終決戦「壇ノ浦の戦い」。平氏の敗北が決定的となり、覚悟を決めた平氏一門の人々は自ら海に飛び込んでいった。安徳天皇も清盛の妻も海の藻屑となった。
ただひとり教経だけは敵を斬りまくり、「死出の土産に大将首を獲らん」とライバル・義経に肉薄した。しかし身軽な義経は「八艘飛び」で逃亡、ついに教経も自害を決意する。
教経「さぁ!源氏の兵どものなかで自信のあるヤツはかかってこい!この教経、頼朝に言いたいことがある!!」
力自慢の3人(源氏方)「おう!いざ、参らん!」
教経は、挑みかかってきた3人のうちひとりを海へ蹴り落とすや、「お前ら、ワシの死出の旅路の供をしろや!」と、残った2人(兄弟)を両脇に抱え海へザンブと飛び込んだのだった。
26歳の若者とは思えないアツくて渋い最期。教経人気が高かったんでしょうね、教経には生存説がたくさん残っています。
おまけで教経さんをアップで。興奮を表したように逆立つ髪の毛がよきかな。
世の儚さは散る桜のごとく
満開の桜を眺める2人の武将は義経とその忠臣・弁慶。
2人で楽しくお花見をしているわけではなりません。一見ほのぼのした場面に見えますが、このシーンには義経の非情なる決断が隠されています。
描かれているのは歌舞伎の人気演目『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』のなかの「熊谷陣屋(くまがやじんや)」におけるワンシーン。『平家物語』でも有名な源氏方の猛将・熊谷直実(なおざね)と平氏の美少年武士・平敦盛(あつもり)との一騎打ちを脚色したものです。
物語は源平合戦のさなか、平氏が大敗を喫した「一ノ谷の戦い」の時のこと。源氏の猛将・熊谷直実は平氏の貴公子・平敦盛を一騎打ちの末に討ち果たした。敦盛の首を確認するため現れた主君・義経の前に直実は敦盛の首を入れた首桶を差し出す。
「うむ、敦盛に間違いなし」
義経はそう断言したが、この首は敦盛のものではなく、本当は直実の息子のものであった。じつは合戦の前、直実は義経から「敦盛は後白河法皇の御子。高貴な血を残すため敦盛は助けよ」という密命を受けていたのだ。敦盛の首の代わりに自分の息子の首を差し出すーー苦渋の決断をした直実はその後、義経に暇乞いをし、出家したのである。
戦時の非情さを描いたこの「熊谷陣屋」は今もなお人気が高い演目だそう。
で、芳年が描いているのは、義経に命じられた弁慶が「一枝(いっし)を伐らば、一指(いっし)を切るべし」と制札に書いているところ。
ほら、弁慶さん筆を持ってなにか書いています。表情も心なしか切なげです。
この制札に書かれた言葉こそ、「代わりの首を用意して敦盛は助けよ」という義経からの非情なる厳命だったのです。熊谷直実の陣屋前の桜にこの制札がかかっていたのですが、これを目にした直実のショックはいかばかりだったでしょうか……。
少しここで余談。
ここまでの義経・弁慶はカッコよかったんですが、同じ芳年作品の義経・弁慶でもこちらはだいぶテイストが違います。
描かれている場面は冒頭に紹介したものと同じ五条大橋での出会いシーンなんですが、なんだろ……いじめっ子といじめられっ子的な? 弁慶「おっしゃー! ゲットだぜ〜!!」、義経「返せよー!やめろよー!」という感じに見えます。とにかく、カッコよくはない。
美男子の代名詞・義経の顔が特に個性的なので拡大。
これは草不可避。吉田戦車ちっく。こんな義経は見たことない。同じ作者が同じ人物、同じ場面を描いても方向性がこんなに変わってしまうのもはや神秘です。
閑話休題。ここで少々『芳年武者无類』シリーズの説明を。
1883年(明治16年)から1886年(明治19年)にかけて出版された武者絵集。全32枚。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)をはじめ、源義経、平将門、上杉謙信など歴史上のヒーロー&アンチヒーローらを独特のセンスで描いた芳年晩年の傑作シリーズ。
シリーズ32枚すべてを紹介します!では、続きをどうぞ!
とんでもない躍動感
天から駆け下りてきたかのように躍動する馬に跨り、馬上から槍を直下の敵に突き立てる武将ーーなんともものすごい構図の1枚。インパクトがハンパない。
馬の尾から足先までが描く斜めのライン、槍の柄から武将の顔、馬の顔、地面に転がる敵の尻までが縦のラインを描いています。どうしたらこんな構図を思いつくのか…。
馬上で槍をふるう武将は、かの有名な平将門(まさかど)。平安時代中期の武将で、自ら“新皇”を名乗り関東に独立政権を打ち立てようとした人物です。中央政権が派遣した討伐軍により敗北を喫しましたが、死後も最強の怨霊として人々を震えさせました。
芳年が描いたのは将門の最後の戦いの姿と思われます。
自ら馬にまたがり鬼神のごとき奮戦をした将門の鬼気迫る姿をどれだけ格好良く描けるか、月岡芳年はそれを考え筆をふるったに違いありません。拡大するとわかるのですが、将門の表情がまたすさまじい。
血走ったような目の迫力。もう半分くらい人ではなくなっているような雰囲気です。
戦国の梟雄、その死に様を見よ!
白髪を振り乱した老人、その手には短刀が握られ、もう一方の手は頭上高くにあげられています。
背後の柱に向かってなにかを投げつけたところのようです。状況はわからずともタイヘンなことになっていそうな雰囲気。
さて、この人物は“梟雄(きょうゆう)”“下克上の代名詞”“奸雄(かんゆう)”などと評される戦国武将・松永弾正久秀(ひさひで)。ダークヒーローとして異彩を放つ久秀にはすごいエピソードが盛りだくさん。主家への裏切り、十三代将軍・足利義輝の殺害、主君・織田信長に対する2度の謀反、東大寺大仏殿の焼失……などなど枚挙にいとまがありません。その死に様もまた壮絶。
主君・信長に対し再び反旗を翻した久秀だったが、信長軍に包囲され「もはやこれまで」と自害を決意する。「名物茶器・平蜘蛛の釜をよこせば命は許してやろう」と信長に降伏を勧められていた久秀だが、「信長にくれてやるくらいならこうしてくれるワッ!」とばかりに平蜘蛛を柱に叩きつけてコナゴナに砕いた。そして、城に火を放ち燃え盛る炎のなかその生涯を閉じたのである。
久秀の死に様に関しては、「平蜘蛛に火薬を詰め込み爆死した」なんてものもあります。爆死って…。
とにかく生き様も死に様も破天荒な松永久秀ですが、エピソードには伝説や創作によるものも多く、出自や前半生をはじめ不明な点がたくさんある謎多き人物です。
芳年の描く久秀はいかにも「下克上を生きた狡猾な戦国武将」という感じがします。矜恃にあふれてる。
カッと見開いた目と口、バッと開いた手、流れるような着物のひも。まるでストップモーションのような表現は芳年の得意とするところ。