• 更新日:2017年10月14日
  • 公開日:2017年9月24日


鬼か化け物か、はたまた…… 

『平忠盛』(1885年/明治18年)(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
『平忠盛』(1885年/明治18年)
暗がりのなかを頭に変なものをかぶったガリガリの男性が歩いている。よく見るとその背後の木立に眼光鋭い武士が身を潜め、今にも斬りかからんばかりの構え。

なんとも妙な状況ですが不気味さはビシビシ感じます。

描かれているのは、ここまで度々登場している平清盛の出生にまつわる伝説。主人公はガリガリのおじさんではなく、隠れている男性の方。

平忠盛が描かれた浮世絵(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
口元が隠れ目の部分だけ見えているの格好いい。
彼は平安時代末期の武将・平忠盛という人物で、あの平清盛のお父さん

元になったエピソードはこれ!

時の権力者・白河法皇にはこっそり寵愛する祇園女御という女性がいた。法皇が祇園女御のもとへ通っていたある雨の日の夜、一行は不思議なモノに出会う。不気味に光り、頭部は針のようにきらめく「それ」を見た一行は「すわ、鬼か!?」とざわめく。

みなの足がすくむなか白河法皇の前に進み出たのは護衛として付いてきていた若き平忠盛。「アレを斬れ!」と命じる法皇に対し、冷静さを忘れない忠盛は「まずは生け捕りに」と答える。そして、そっと近づくや、さっとソレを捕まえた。

不思議なモノの正体は鬼でも化け物でもなく、ただのボロボロの傘をかぶった老法師であった。忠盛の若いながらも冷静で勇敢な対応に感激した白河法皇は、褒美として寵愛していた祇園女御を忠盛に与えたという。

寵愛していた女性をあっさり褒美に与えちゃうあたり現代人にはなかなか理解しがたい感覚ではありますが、まあ、そこは時代も身分も違うということで。

で、忠盛の妻となった祇園女御がこの時にすでに懐妊しており、生まれた子が清盛だという伝説があるのです。つまり、清盛の本当の父親は白河法皇。清盛が異例のスピードで出世していったことから生まれた出生秘話です。

それにしても老法師はヘンなかっこうで歩いていたというだけで斬り殺されなくて本当に良かった。鬼に見間違えられるようなファッションで夜道を歩くのはやめよう。


斬られ方が名人級

『左兵衞佐源頼朝』(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
『左兵衞佐源頼朝』
鎌倉幕府を開いた源頼朝の若き日の勇姿。

真っ赤な鎧が白銀の世界に映え、鮮烈な印象を与えます。将来有望感がすごい。そして、頼朝に切られている人のリアクションが最高です。表情もすばらしいので見てください。

源頼朝に斬られる男(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)

斬られ役をやり続けて40年、みたいな風格が漂ってます。

のぞき見る先にあるのは幸福か悲劇か

『遠藤武者盛遠』(1883年/明治16年)(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
『遠藤武者盛遠』(1883年/明治16年)
抜き身の刀をひっさげた若い武士が部屋のなかをのぞいています。漂う不穏な空気。グッと背後に引いた右手と、ピンと伸びた足先に緊張感が凝縮されているようです。

彼は何者かというと、強盗ではなく間男。同僚の妻に横恋慕したあげく、その寝所に忍び込もうとしているのです。悪いやつだ。

描かれているのは、文覚(もんがく)という僧の若き日の姿。文覚は源頼朝に挙兵を進言したといわれる人物です。文覚はもともと武士で19歳の時に出家したのですが、そのきっかけとなったといわれる悲話がこれです。

元になったエピソードはこれ!

文覚が「遠藤盛遠(もりとお)」と名乗り、源氏武士団の一員として働いていた頃の話。

盛遠は同僚・源渡(みなもとのわたる)の妻・袈裟御前(けさごぜん)に恋をし、熱烈な愛を彼女にぶつける。人妻である袈裟御前は盛遠からのしつこいアプローチに困惑し、ついにある決断を下す。袈裟御前は盛遠にこうささやく。

「あなたのお気持ちはよくわかりました。では、寝所に忍び込んで寝ている夫を殺してください」

喜び勇んだ盛遠は、寝所に忍び込むとひと思いにその首を斬り落とした。が、斬った首を見るとそれは恋敵なく、なんと愛しい袈裟御前その人だった。夫と盛遠との間で板挟みになっていた袈裟御前は、自ら死ぬことで盛遠に諦めさせようとしたのである。

激しいショックを受けた盛遠は出奔すると、髪を落とし僧となった。

たしかにこれは出家待ったなし。あまりにショックすぎる。

生来の激情家だったのか、出家したあとも文覚はエネルギッシュに活動しました。しかし、そのエネルギッシュさが災いしたのか、源頼朝という強力な後ろ盾が他界したあと、謀反の疑いをかけられ佐渡や対馬に流され、配流先で没しました。

唯一の女性エントリー

『阪額女』(1883年/明治16年)(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
『阪額女』(1883年/明治16年)
真っ赤な甲冑に身を包み、弓を抱えた姿がとても勇ましい。この人物は男性ではなく女性。

歴史上の女武士というと、大河ドラマのヒロイン井伊直虎をはじめ本多忠勝のジャジャ馬娘・小松姫や木曽義仲の愛妾にして盟友・巴御前など結構いますが、この「板(坂)額御前(はんがくごぜん)」もそのひとり。

平安時代後期から鎌倉時代初期に実在した人物で、矢を放てば百発百中の弓の名手だったそう。

元になったエピソードはこれ!

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によれば、鎌倉幕府への反乱「建仁の乱」が起きた際に板額御前の兄も反乱軍として参戦、板額御前のいる城にも大勢の幕府軍がせめよせました。女性ながら板額御前も得意の弓でもって応戦、その戦いぶりは味方のみならず敵からも賞賛されるほどだったとか。

奮戦むなしく生け捕りにされた板額御前は鎌倉の二代将軍・頼家の前に引っ立てられるのですが、捕虜らしからぬ毅然とした態度に誰しも感心したそう。

弓の名手、女武士、凛々しい……ときたら「間違いない、美人だ」と想像するでしょうが、ルックスに関する描写はあんまりないようで、美人とも不美人とも断言しがたい。

それにしても背景と馬がほぼ同色で、まるで馬が透明化しているみたいに見える表現がユニークですね。

老兵士の静かなる最期ー

『源三位頼政』(1886年/明治19年)(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
『源三位頼政』(1886年/明治19年)
抜けるような青空のもと、草原に座って一句詠む老人。

なんだかノホホンとした光景に見えますが、この老人は今まさに自害しようとしているところなのです。右上をよく見ると赤い旗を翻し敵軍が迫ってきています。

この老兵士は平安時代末期の武将・源頼政(よりまさ)。平家が中央政界を牛耳りこの世の春を謳歌するなか、後白河法皇の皇子・以仁王(もちひとおう)とともに平家打倒を掲げ挙兵した人物です。しかし、平家打倒の機は未だ熟しておらず反乱は失敗、追い詰められた頼政は自害し果てたのです。

画中、頼政は辞世の句をしたためています。その句は「埋木の はなさくこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」というもの。なんとも切ない。

ちなみに芳年は『大日本名将鑑』という武者絵シリーズのなかでも源頼政を描いているのですが、こちらは若い頃の姿で非常に格好いい。

源頼政が描かれた浮世絵(『大日本名将鑑』より、月岡芳年 画)

頼政が「鵺(ぬえ)」という妖怪を退治したという伝説を描いているのですが、雷の表現が最高です。ビビッドな色づかいも芳年らしくてすばらしい。

源平武将がたくさん登場しますが、またもや平家の武士。

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