• 更新日:2019年10月20日
  • 公開日:2017年9月24日


重そう

『篠塚伊賀守貞綱』(1886年/明治19年)(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
『篠塚伊賀守貞綱』(1886年/明治19年)
ひとりの武士が巨大な木材を抱えています。そんなにマッチョに見えないのにすごいパワーです。

こちらの武士は無双の剛力で知られた南北朝時代の武士・篠塚重広(しげひろ)。先ほどご紹介した後醍醐天皇の忠臣・新田義貞の家臣です。

元になったエピソードはこれ!

北朝方は立てこもる近江の三井寺に立てこもっていた時のこと。三井寺は堅牢な石垣と深い堀で固められた鉄壁の守りを誇る場所で、南朝方は攻めあぐねていた。

そこで篠塚重広、寺の外にあった巨大な卒都婆(そとば)を引っこ抜いてきて、それを堀にかけて橋とし寺内に斬り込んだといわれる。

篠塚重広が描かれた浮世絵(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)

まるで漫画のようなエピソード。そう思って絵を見ると、目の描き方が少しマンガちっく?

芳年の師匠・国芳も同じ場面をダイナミックに描いています。

篠塚重広が描かれた浮世絵(歌川国芳 画)
画像引用元:浄土宗 大信寺
なんかタイヘンなことになってるぞ。

篠塚重広はどこにいるかというと中央のこちら。

篠塚重広が描かれた浮世絵の拡大(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)

剛力キャラ感がすごい。

いよいよ次でラスト!


歌舞伎にもなった世紀の一騎打ち

『悪七兵衛景清・三保谷四郎国俊』(『芳年武者无類』より、月岡芳年 画)
『悪七兵衛景清・三保谷四郎国俊』
波打ち際での一騎打ち。『平家物語』に登場し、のち能や歌舞伎にもなった名シーン。

組み合うのは、平家随一の猛将で“悪七兵衛(あくしちひょうえ)”の異名を持つ藤原景清(かげきよ)と源氏方の坂東武者・美尾屋十郎(タイトルでは三保谷四郎国俊)。

源平合戦の最終局面「壇ノ浦の戦い」において行われた一騎打ちで、景清の猛攻に耐えかね逃げようとした十郎に対し、景清が十郎の兜の「錣(しころ)」を引っつかんで素手で引きちぎったいわゆる「錣引(しころびき)」の場面です。

ちなみに、薙刀を持っている右上の人物が景清で、刀を折られこけているのが十郎です。引きちぎった「錣」を薙刀の先に突き刺し高々と掲げ、源氏方の武者たちに呼びかける景清の口上がとっても格好いい。

「遠からん者は音に聞け、近くの者は目にもみよ。我こそ京で童が噂する上総の悪七兵衛景清であるぞ」

しびれる!!

時代とともに口上を述べての一騎打ちなんてものは時代遅れになっていくのですが、やはりいいものです。

以上『芳年武者无類』の全32作品でした。思わず「カッコイイ」を連発してしまうクールな絵がたくさん。月岡芳年の絵師としての懐の深さには驚かされます。

別の記事でも月岡芳年の作品を紹介しています。あわせてどうぞ!
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