妖怪画の傑作!最後の浮世絵師が遺した36枚の絵は幻想と怪奇のごった煮だ

幕末から明治時代にかけて活躍し「最後の浮世絵師」とうたわれた天才絵師・月岡芳年(つきおかよしとし)。武者絵、美人画、妖怪画とさまざまなジャンルで独創的な作品を残した芳年最晩年の傑作妖怪画集『新形三十六怪撰(しんけいさんじゅうろくかいせん)』をご紹介します。

『新形三十六怪撰』の目次(月岡芳年 画)
目次からしてセンスの塊。蜘蛛の巣に絡まる紅葉とか……物語が始まりそうな予感がビンビンします。

『新形三十六怪撰』とは?

1888年(明治22年)から1892年(明治25年)にかけて刊行された妖怪画の連作。全36枚(+目次)。本作での画号は「大蘇(たいそ)芳年」。月岡芳年最晩年の作品で、完結したのは芳年没後、数点は芳年の下絵をもとに弟子たちが完成させました。

晩年の芳年は神経を病み酒害に蝕まれていましたが、そんななかで完成させた本作は夢とも現ともつかない幻想と怪奇の世界を作り出しています。芳年の師匠・歌川国芳と同じく、芳年も長年多くの妖怪画を手がけましたが、本作はその集大成ともいえるでしょう。なお、絵の縁が虫に食われたようにボロボロになっていますが、これもデザインのうちです。

それでは、『新形三十六怪撰』全36点をどどーんと見ていきましょう!

鬼もタジタジになる威圧感

『貞信公夜宮中に怪を懼しむの図』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『貞信公夜宮中に怪を懼しむの図』(1889年/明治22年)
礼服に身を包んだ男性が、筋骨隆々、二本の角も鋭い鬼をひと睨みで威圧しています。

いかつい見た目に反して情けない顔の鬼がちょっとカワイイ。眼光鋭く鬼を睨むこの男性は、平安時代の辣腕政治家・藤原忠平(貞信公)。平安時代の歴史物語『大鏡』に書かれた忠平の鬼退治エピソードを芳年が描きました。そのエピソードがおもしろい。

元になったエピソードはこれ!

ある夜、勅命により帝(みかど)のもとへ向かおうとする忠平、不意に刀を毛むくじゃらの手につかまれるも「帝のところへ行くんだから邪魔するな!」と激おこし、刀を抜こうとした。その覇気に鬼がビビって逃げ出したーーというもの。

この世で一番怖いのは人間、というのはいつの時代も真理なのかも。


美女の正体は?

『さぎむすめ』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『さぎむすめ』(1889年/明治22年)
黒、白、赤、黄色とシンプルな色味で構成された画面が美しい1枚。

白無垢姿で雪のなかに佇む美女は鷺(さぎ)の化身。これは日本舞踊や歌舞伎の人気演目『鷺娘』をテーマにした作品で、恋に身を焦がす鷺娘の神秘的なまでの美しさ、儚さを感じます。

しびれるほどの躍動感

『武田勝千代月夜に老狸を撃の図』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『武田勝千代月夜に老狸を撃の図』(1889年/明治22年)
まるでアニメのワンシーンを見ているようですが、これ100年以上前の作品です。

画像左下で刀を振るうのは“甲斐の虎”として名高い戦国武将武田信玄の若き日の姿。木馬の上にいたのか下に隠れていたのか、古狸を一撃のもとに退治した場面です。月夜の静けさと倒れそうな木馬や狸、緊張感のある若信玄、その静と動の対比がすばらしい。ひと言でいってとてもカッコイイ作品です。

川面に映る美女の影は……

『大森彦七道に怪異に逢ふ図』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『大森彦七道に怪異に逢ふ図』(1889年/明治22年)
月夜に美女とオッサンが駆け落ちするの図……ではありません。これは歴史物語の傑作『太平記』に書かれた逸話のひとつ、大森盛長が鬼と出会ったお話を絵にしたもの。大森盛長という武将はかの楠木正成を死に追いやったという伝説が残る人物で、『太平記』に書かれたエピソードというのがこんな感じ。

元になったエピソードはこれ!

ある月の夜、大森盛長が矢取川にさしかかると美女に出会った。川を渡りたいという美女の願い出に応え、美女を背負い川を渡る盛長。ところが、川面に映る美女の影を見るとーーなんと角が生えているではないか!? そう、この美女は楠木正成の怨霊だったのである。

このエピソードをふまえて改めて作品を見てみると、美女の絡みつくような視線や肢体が恐ろしい。

妄執の幽霊ストーカー

『清玄の霊桜姫を慕ふの図』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『清玄の霊桜姫を慕ふの図』(1889年/明治22年)
艶やかな振袖姿の美しいお姫様。その後ろの襖に目を向けると……まるで人のようなシミがッ!

襖に描かれたススキからもわかるように、これは亡霊のしわざです。こちらの元ネタは歌舞伎や浄瑠璃などの題材として有名だった「清玄桜姫(せいげんさくらひめ)」の物語。話の大筋はこんな感じ。

元になったエピソードはこれ!

清玄という僧が麗しいお姫さま、桜姫に恋をした。しかし、それが破滅の始まりだった。恋に迷った清玄は寺を追放されるが、それでも桜姫を忘れられない。しばらくして清玄の庵にたまたま桜姫が訪れた。長年の恋情が爆発した清玄は桜姫に迫るが、桜姫の家臣によって返り討ちにあい命を落とす。が、死してなお桜姫を慕う清玄の魂は、亡霊となって桜姫の前に現れる。

ストーカー、超怖い。

「襖のシミ」というあいまいな姿に清玄の浅ましさを感じるし、画面の枠を飛び出さんばかりにして逃げようとする桜姫からは真の恐怖を感じます。

鬼婆のドヤ顔

『清玄の霊桜姫を慕ふの図』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『老婆鬼腕を持去る図』(1889年/明治22年)
不気味なドヤ顔で夜空を駆けるおばあちゃん。青白い顔と真っ白な髪に不似合いなほど鮮やかな着物が不気味さを増長させています。

さて、どっからどー見てもただモノじゃあないこのおばあちゃん、その正体は鬼。鬼の頭領として名高い酒呑童子(しゅてんどうじ)の優秀な配下で名を茨木童子といいます。

元になったエピソードはこれ!

茨木童子が平安時代の武将・源頼光配下の四天王のひとり・渡辺綱(わたなべのつな)を襲った際に、返り討ちにあって片腕を切り落とされてしまいます。で、その後、腕を取り返すべく茨木童子は渡辺綱の叔母に化けて綱の家を訪ねます。

叔母(鬼)「綱よ、お前の叔母さんだよ。ちょっと家に入れてちょーだい」
綱「鬼が腕を取り返しに来るかもしれないから、叔母さんでも家に入れるのムリです」
叔母(鬼)「小さい頃、あんなに世話したのに……年寄りにこんな仕打ちをするなんて…よよよ」綱「あ、ちょ、ちょっと! わかりました、わかりましたから。家、開けますよ」
叔母(鬼)「ありがとう! ところで、その鬼の腕見たい。見せて」
綱「えー……しょうがないなぁ。これです」
叔母から鬼に姿を戻し「よっしゃ!腕、取り返したぜ〜!!じゃ、あばよ!」

綱さん、ツメが甘いよ…。

超巨大鯉VS少年弁慶

『清玄の霊桜姫を慕ふの図』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『鬼若丸池中に鯉魚を窺ふ図』(1889年/明治22年)
黄金色に輝く玉のような目をギョロつかせ悠々と泳ぐ巨大鯉。それを岩の上からじっと狙うのは、幼き日の弁慶。源義経の忠臣で立ち往生という壮絶な最期を遂げたあの弁慶です。この絵にも元ネタになった伝説があります。

元になったエピソードはこれ!

子どもの頃から乱暴者だった弁慶(幼名・鬼若)が比叡山にいた頃、比叡山の池にいた巨大鯉が暴れ人々を苦しめていました。そこで少年弁慶、この鯉を退治すべく短刀だけを持って池へ行き、激闘の末、見事に鯉を討ち果たした。

このエピソードは絵師たちの想像力をかき立てるようで、芳年の師匠・歌川国芳をはじめ多くの絵師が画題にしています。武者絵を得意としていた芳年らしく、こちらの絵もとにかくかっちょいい!! 気配を殺す弁慶の緊張感、短刀を逆手に持つポーズのかっこよさ、ブワッとはためくたもと、水面に描かれる波紋ーーどれもこれもすばらしい。

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投稿日: 投稿日:カテゴリ:カテゴリー 浮世絵, 芸術

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