• 更新日:2020年3月15日
  • 公開日:2017年9月10日


なにみてんだよ!

『清盛福原に数百の人頭を見る図』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『清盛福原に数百の人頭を見る図』(1890年/明治23年)
眼光鋭い坊主頭の男性は平清盛サマ。「平氏にあらずんば人にあらず」という歴史に残る暴言を一族の者にいわしめたほど平家バンザイ時代を築いた傑物です。ちょっと前にNHK大河ドラマにもなりましたよね。さて、エピソードに事欠かない清盛サマには眼光だけで妖怪を退治したというパワフルな逸話があります。

元になったエピソードはこれ!

福原の都にある屋敷にいた時のこと。清盛が中庭に目をやるとドクロがゴロゴロと転がってきた。やがてそのドクロたちはひとつに集まり、無数の目を持つ巨大なドクロとなり、清盛をひたと睨みつける。助けを呼べども誰もこないので、意を決した清盛はギロリとそのドクロを睨み返した。清盛のあまりの眼力に耐えかねたのか、ドクロは跡形もなく消え失せた。

清盛、さすが。

で、この時に清盛の前に現れた妖怪はのちに「目競(めくらべ)」として妖怪博士・鳥山石燕(せきえん)に紹介されたのですが、それを芳年は「襖の模様をドクロに見間違えた」として描いています。妖怪は本当にいたのか、それとも過労で疲れ果てた清盛の脳が見せた幻覚だったのか……。


伝説の妖狐、復活

『奈須野原殺生石之図』(1891年/明治24年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『奈須野原殺生石之図』(1891年/明治24年)
岩にもたれかかる妖艶な美女。夜空には桃色に染まるちょっと淫靡な満月、不思議なポーズで飛ぶ2羽の雁。不可思議な雰囲気を漂わせる絵です。

描かれている美女は、「玉藻前(たまものまえ)」。9本の尾を持つ伝説の妖狐・九尾の狐の化身です。

元になったエピソードはこれ!

平安時代に鳥羽上皇の寵愛を受け、権力をほしいままにした玉藻前ですが、陰陽師によりキツネの正体を暴かれ、討伐軍に追われることになります。激闘ののちトドメを刺された玉藻前ですが、その執念すさまじく毒を撒き散らす巨大な岩「殺生石」になったとか。それから時は流れ100年後、玉藻前の亡霊は復活し姿を現したといわれています(←絵はこれ)。

ちなみに殺生石は実在するもので、現代では観光スポットになっています。

殺生石(栃木県の那須湯本温泉)
栃木県の那須湯本温泉にある溶岩が「殺生石」。有害ガスが付近から噴き出しているそう。キケン!wikipedia

どこからともなく悲しげな声が……

『秋風のふくにつけてもあなめあなめをのこはいはしすゝき生けり 業平』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『秋風のふくにつけてもあなめあなめをのこはいはしすゝき生けり 業平』(1890年/明治23年)
説明がなければ「怪」を描いたとは思えないのがこちらの1枚。ススキ野原をながめて男性がひとりぼんやりしているだけのように見えますが、この絵もあるとても有名で悲しく怪しい伝説を描いたものです。

男性は平安時代を代表するイケメン貴公子・在原業平(ありわらのなりひら)。天皇の孫という高貴な生まれ、イケメン、歌がうまい、女性にモテモテ、イケメン(二度目)という超ハイスペックな完璧超人。ちなみにここで描かれている業平が平安期族らしからぬヘアスタイルなのは、天皇の寵愛を受ける女性に手を出してしまい(こういうことよくする)、見せしめに髷(まげ)を切り落とされちゃったから。さて、そんなスケコマシの業平さん、「髪伸びるまで旅でもしよ」ということで東北を旅している時に不思議な体験をします。

元になったエピソードはこれ!

ある夜、あばら家で夜を過ごしていた業平の耳に悲しげな女性の声が聞こえてくる。

「秋風の ふくにつけても あなめあなめ(秋風が吹くたびにあぁ目が痛い、目が痛い)」

どうやら和歌の上の句を詠んでいるらしい。不思議に思った業平は声の主を探すが誰もいない。翌朝、声のしたあたりをもう一度探してみると草むらのなかにシャレコウベが転がっていた。見過ごすこともできず「ナムナム」と手を合わせていると、通りすがりの村人が「あぁ、それはきっとあの小野小町のシャレコウベですよ」という。

「これがかの高名な小野小町の成れの果てか!?」

哀れを感じた業平ははらはらと涙を流し、昨晩耳にした上の句に続く句を詠む。

「をのこはいはし すゝき生けり(小野小町の最期ではない、ただススキが生えているだけ)

この「小町伝説」を踏まえてもう一度芳年の絵を見るともの寂しい気分になってしまいます。

ムカツクからビリビリにしてやるぜ

『三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図』(1891年/明治24年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図』(1891年/明治24年)
ネズミの大運動会@お寺。

ウソです。ホントは「鉄鼠(てっそ)」とも「頼豪鼠(らいごうねずみ)」とも呼ばれる妖怪とその手下のネズミたち。京極夏彦さんの小説『鉄鼠の檻』で有名になったあの「鉄鼠」です。『鉄鼠の檻』はコミックス版が発売中など現在でも人気が高い作品です。「鉄鼠」の物語は『平家物語』や『太平記』などに登場するのですが、ざっくり紹介するとこんな話。

元になったエピソードはこれ!

平安時代、頼豪という僧がいた。白河天皇から「結果が出たら褒美は思いのままに」と約束された頼豪は皇子誕生の祈祷をする。頼豪の祈りの効果があったのか白河天皇に皇子が誕生する。頼豪は「ご希望通り結果出しましたよ。だから三井寺に戒壇を建立して」と願い出ます。

ところが三井寺と敵対関係にあった延暦寺がやいのやいのイチャモンをつけてきたため、頼豪の願いはうやむやにされてしまった。当然、頼豪は激怒。誕生した皇子に呪いをかけるべく断食し、失意のまま世を去る。頼豪の呪いのためか皇子は幼くして命を落とした。さらにその後、頼豪の怨念は巨大なネズミに姿を変え、延暦寺の経典や仏像をメチャクチャに荒らしまくったという。

ネズミの姿になっても僧衣なのが逆に怨念の強さを感じさせます。
約束は守りましょう(戒め)。

スタイリッシュライティング

『蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図』(1891年/明治24年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図』(1891年/明治24年)
やたらとかっちょいいポーズで美少年が手燭(てじょく/携帯用照明)を掲げています。黒と赤の着物がクール。さて美少年が暗い庭で一体なにしてるのかといいますと、巨大な蘇鉄(ソテツ)の調査。

こちらの少年はかの有名な森蘭丸

第六天魔王・織田信長の寵臣で戦国屈指のイケメンと名高いあの少年です。蘭丸VS大蘇鉄の伝説はこう。

元になったエピソードはこれ!

大坂は堺に妙国寺というお寺があった。その境内には樹齢数百年の巨大な蘇鉄が生えていたが、信長公、これを安土城に植え替える。ある日、信長公は庭先で妙な声を耳にし、森蘭丸に調査を命ず。声の出所はなんとあの大蘇鉄。「堺へ帰ろう、堺へ帰ろう」と大蘇鉄が泣くのだ。

妖が大嫌いな信長公は「こんな蘇鉄、斬ってしまえ!」と家臣たちに命じる。ところが蘇鉄を斬ろうとした家臣たちは、血を吐きのたうちまわった。さすがの信長公も蘇鉄を恐れ、妙国寺に返却したそうな。

信長公すらビビらせる蘇鉄、やりおるわい。

なお、この大蘇鉄も現存しており国の天然記念物になっています。結構残ってるものですね。

妙国寺の大蘇鉄
伝説の大蘇鉄は樹齢1100年を超えるんだとか。すごーい! 画像引用元:wikipedia

恋する幽霊

『保多舞とうろう』(1891年/明治24年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『保多舞とうろう』(1891年/明治24年)
タイトルの『保多舞とうろう』とは『牡丹灯籠』のこと。そう、「日本三大怪談」にも数えられる怪談『牡丹灯籠』のことで、明治時代の大落語家・三遊亭円朝の代表作でもあります。

『牡丹灯籠』のヒロインは「お露」という幽霊。ひと目惚れした浪人に恋焦がれながら焦がれ死にし、幽霊となっても想い人の元へ通う情熱的な幽霊です。幽霊といえば足がないのが定番ですが、お露さんは例外で、カランコロンの下駄の音を響かせながら登場します。

それにしても芳年の描くお露さんの美しいこと。儚げな透明感(幽霊だしね!)、凜とした気品、それでも漂う生身の人じゃないオーラーーこれは惚れてしまってもしょうがないでしょう。ちなみにお露さんの前にいるのは下女の幽霊。対比とはいえ醜く描きすぎじゃないですか?

波乗り幽霊

『大物之浦ニ霊平知盛海上ニ出現之図』(1891年/明治24年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『大物之浦ニ霊平知盛海上ニ出現之図』(1891年/明治24年)
こちらも相当にカッコイイ1枚。薙刀(なぎなた)を手にした武将が向こうを睨みつけながら波に乗っています。白い着物はおそらく死装束。青白い顔と白い着物が相まって壮絶にカッコイイ。色気すら感じます。

この武将は、源氏VS平氏の最終決戦「壇ノ浦の戦い」で命を落とした平清盛の四男・知盛(とももり)です。知的で人徳も備えていた知盛ですが、いかんせん病弱でした。それでも指揮官を務め度重なる戦いで先陣を切って奮戦したのですが、「壇ノ浦の戦い」で追い詰められ自害の道を選びます。その最期がまたカッコイイんです。

もはや敗戦が決定的となった平氏軍。武将たちは生き恥を晒すよりはと入水を決意する。幼い安徳天皇も平清盛の正室らと手に手を取り合い海の藻屑と消えた。

「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」

隆盛を極めた平氏の終焉を見届けた知盛は、身体が浮かび上がって源氏の手に落ちるのは不本意と、碇(いかり)を担いで(鎧を2枚重ねて着たとも)乳兄弟とともに海へ飛び込んだ。

この知盛の自害シーンはあまりにカッコイイので、歌舞伎の人気演目『義経千本桜』でも見どころのひとつとなっています。

『義経千本桜』における知盛(『源氏雲浮世画合』「御法」「平知盛」 歌川国芳 画)
芳年の師匠・歌川国芳が『義経千本桜』における知盛を描いた作品。こちらもカッコイイ(『源氏雲浮世画合』「御法」「平知盛」)

で、ここからが芳年が描いたシーン。

元になったエピソードはこれ!

兄・源頼朝に疎まれ西国へ落ち延びる義経・弁慶一行が船に乗り、大物浦(だいもつのうら)をの海上に出ると次第に強風が吹き荒れ、波は高くなる。荒れ狂う高波を義経一行が見つめていると、なんとそこには平氏の亡霊たちが。死してなお源氏への遺恨を捨て去れない知盛も薙刀を手に挑みかかってくる。激しい攻防の末、亡霊たちは姿を消したのでした。

また負けたよ……。

生前に負け、死後にも負けと散々な知盛ですが、芳年が描く知盛はあくまで気高く前向きです。

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