我が無念よ飛んでいけ

『藤原実方の執心雀となるの図』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『藤原実方の執心雀となるの図』(1890年/明治23年)
菜の花が咲く野原でオジサンが戯れ飛ぶスズメを見ている……一見するととってものどかな絵です。ですが、そこは『新形三十六怪撰』シリーズの1枚。ここにも「怪」が描かれています。

それはどこかというと、このかわいいスズメたち。このスズメは「入内雀(にゅうないすずめ)」「実方雀(さねかたすずめ)」と呼ばれる妖しの鳥で、スズメを見つめるオジサンこと平安時代の歌人・藤原実方の怨霊がスズメに姿を変えたものなんだそう。なんでそんなことになっちゃかというと、その理由は以下。

元になったエピソードはこれ!

実方という人は天皇に仕える有名な歌人だったが、ちょっとしたイザコザのため東北地方へ左遷させられる。京へ帰ることを願った実方だが、願い叶わぬまま失意のうちに死去。実方の死と前後するように、京の内裏では不可思議なことが起きはじめる。毎朝スズメが飛んできて朝食を全部食べちゃったり、農作物を荒らしたり……。人々は「都へ帰れなかった実方の霊がスズメになって悪さをするのだ」と恐れたのだとか。

霊が姿を変えて現れるのはめちゃくちゃコワイですが、スズメというのがねぇ、あんまりコワくないな。


盃に映るものは……?

『平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図』(1890年/明治23年)
紅葉が散るなか、紅葉色の着物をまとった美女と渋ヅラの武将という不思議な絵。喧嘩でもしてんのかな? と思いきや、じつはこの美女、正体は鬼なのです。盃にご注目。盃に満たされた酒に鬼の顔が映っており、美女の正体を知った武将はそっと刀に手をかけています。この気配を殺しつつ刀に手をかけている緊張感がたまらない。

こちらの絵の元ネタとなったのは能や浄瑠璃、歌舞伎などでもおなじみ「紅葉伝説」。長野県の戸隠などに伝わる伝説で、平安時代の武将・平維茂(たいらのこれもち)が勅命により「紅葉」という鬼女を退治するストーリーです。

こちらまで悲しくなっちゃう

『皿やしきお菊の霊』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『皿やしきお菊の霊』(1890年/明治23年)
見ていると切なくなる1枚。今にも消え入りそうな女性が悲しげに涙をこぼしています。よく見ると女性の足がない……そう、幽霊なのです。しかも超がつくほどの有名な幽霊。彼女こそ『皿屋敷』の怪談でおなじみお菊さんです。1枚、2枚、3枚、4枚、5枚、6枚、7枚、8枚、9枚……1枚足りない(しくしくしく)のあのお菊さんです。お菊さんは死亡した経緯も含めてかわいそうが過ぎるのですが、芳年のお菊さんは本当に切なそうで……ツラいです。

圧倒的ヒーロー感

『藤原秀郷龍宮城蜈蚣射るの図』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『藤原秀郷龍宮城蜈蚣射るの図』(1890年/明治23年)
怯える美女を背後に庇いながら弓を構えるという構図がめちゃカッコイイ。横顔がカッコイイ。遠景が線描なのがカッコイイ。カッコイイの3連打。

こちら“弓の名手”として名高い平安時代の武将・藤原秀郷(ひでさと)。「俵藤太(たわらのとうた)」の別名の方が有名かもしれません。秀郷といえば、平安朝を混乱に陥れた“新皇”平将門を討ち取ったともいわれる人物です。さて、芳年が描いたのは秀郷による大百足退治のエピソード。タイトルにある「蜈蚣」は「むかで」と読みます。では、百足退治伝説をどうぞ。

これが元ネタ

昔々、瀬田の唐橋(琵琶湖から流れる瀬田川にかかる橋)に大蛇が横たわり人々を困らせていた。ある日、瀬田の唐橋にさしかかった藤原秀郷、横たわる大蛇にひるむことなく大蛇を踏みつけズンズン橋を渡った。その夜、秀郷のもとに美しい娘が現れこんなことをいう。

「わたしは昼間あなたが踏んづけた大蛇です。じつはわたしは龍神の一族で、三上山にいる超巨大な百足に苦しめられています。あなたの勇を見込んでお願いします。どうぞ百足を退治して(泣)」

男気あふれる秀郷さん、この願いを聞き入れ百足退治に向かう。秀郷の前に現れたのは山を7周半もするほどの巨体を持つバケモノ大百足。矢を放つもまるで無意味。そこで秀郷は最後の矢にツバをつけ「南無八幡…ッ!」と天に祈りながら矢を放った。ギャー!!! バタリ。大百足は息絶えた。見事に大百足退治を果たした秀郷は龍神の娘からいろいろと宝物をもらいましたとさ。めでたし、めでたし。

大百足退治に将門討伐と強烈なエピソードを持つ秀郷さんですが、その生涯は不明な点が多くナゾの人物なんだとか。でもきっと男前に違いない。

シリーズ随一のカッコよさ

『布引滝悪源太義平霊討難波次郎』(1889年/明治22年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『布引滝悪源太義平霊討難波次郎』(1889年/明治22年)
黒雲を斬り裂き、炎をまとって現れた武者。その顔は青白く、表情は憤怒に歪んでいます。この構図! 熱とか轟音とかビリビリした空気とかいろんなものを感じます。個人的に『新形三十六怪撰』のなかで一番シビれる絵だと思います。

さて、ちょっと説明を。描かれているのは平安時代の猛将・源義平。鎌倉幕府を開いた源頼朝や義経クンの異母兄にあたる人物です。あまりの強さに「悪源太(あくげんた)」と異名をとりました。

元になったエピソードはこれ!

「平治の乱」で大暴れし平家軍のキモを寒からしめた義平ですが、潜伏中に密告により捕らえられ、京の六条河原で処刑されてしまいます。その最期がまた壮絶極まりない。

義平「おい、処刑係のお前。うまく斬れよ。ヘタクソな斬り方するとお前に喰いつくゾ」
処刑係の難波さん「ほーん、首がどうやって喰いつくんだよ(笑」
義平「ククク、死んだら雷になってお前を蹴り殺しにいくからな」
処刑係の難波さん「……(ゴクリ)」

こうして義平は不気味な言葉を残し斬首されました。享年20。そしてそれから8年後、義平を処刑した難波さんは落雷により命を落としたのでした。

あぁ、恐ろしや。

芳年が描いたのは、まさに雷となった義平の姿。人ならざるものになった猛将の凄まじいまでの執念を見事に描き出しています。

なお、義平のエピソードは『平治物語』というフィクションによるものなので、実際にここまでカッコよかったかはわかりません。が、そんなエピソードが生まれるくらい強烈な人物だったのでしょう。

シルエットクイズ! ママの正体はなぁに?

『葛の葉きつね童子にわかるゝの図』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『葛の葉きつね童子にわかるゝの図』(1890年/明治23年)
かわいい子ども(男の子)が母親の着物の裾をおさえ「ママ〜ちょっと待ってよー」とすがっています。母親の顔は障子に隠れて見えませんが、その影をよく見ると……なんとキツネ。このキツネは「葛の葉」という伝説の白狐で稲荷大明神の使いなんだそう。葛の葉は「鶴の恩返し」よろしくケガをしていたところを人間に助けられ、その人間と恋仲となり子どもまで生みました。しかし、キツネである正体がバレてしまい、葛の葉は子どもに別れを告げると泣く泣く森へ帰って行ったのでした。

この「葛の葉伝説」は歌舞伎などでも人気を集め、かつては知らない人はいないほど有名だったそう。ちなみに、葛の葉の子どもこそなにを隠そうあの最強陰陽師・安倍晴明なのであります。もちろん伝説上のお話ですが、白狐ハーフとかチートすぎます。

いざ! 未知の世界へ

『仁田忠常洞中に奇異を見る図』(1890年/明治23年)(『新形三十六怪撰』より、月岡芳年 画)
『仁田忠常洞中に奇異を見る図』(1890年/明治23年)
不思議な構図の絵です。パッと見、なにをしてるのかよくわからない。

夜の川を渡っているようにも見えますが、これは「人穴(ひとあな)」という富士山の洞窟のなかです。洞窟探検なう。よく見るとコウモリも飛び交っています。それにしても道険しすぎぃ! 挟まっちゃってないですか、これ。

松明片手に洞窟を進むのは鎌倉幕府二代将軍・源頼家に仕えた仁田忠常(にったただつね)という武将。頼家の命により「人穴」を探索することになった忠常ですが、洞窟内ではいろんな怪奇現象に見舞われたらしい。家臣たるものどんなムチャな命令にも応じなければいけないんですねぇ。

ちなみにこの「人穴」、実際にあります。こんなところです。

富士山の洞窟「人穴(ひとあな)」
富士山にある「人穴」。江戸時代には富士信仰の聖地として多くの修行者が集まりました。画像引用元:wikipedia

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投稿日: 投稿日:カテゴリ:カテゴリー 浮世絵, 芸術

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