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ペリーの航海記から引用します。※以下、2人とは吉田松陰と松陰最初の弟子・金子のこと。
この後、松陰は牢獄に入れられます。
周りはなんて馬鹿なことしたと思ったでしょう。松蔭はこの時の気持ちを一句詠んでいます。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(このようなことをすれば、こうなることはわかっていた。しかし、それでも私を行動に踏み切らせたのは、日本を想う心に他ならないのだ。)
あ、ちなみに松蔭は、生涯で何回も牢獄に入れられていて、最終的には前科5犯です。
そういう意味では、けして聖人君子ではありませんね。
この後、吉田松蔭は仮釈放になって牢獄から出ます。そして、謹慎中の家で近所の人相手に講義を始めますが、これが松下村塾なんです。
この松下村塾からは高杉晋作や久坂玄瑞、初代内閣総理大臣・伊藤博文などのそうそうたる面々が育ちました。
さて、仮釈放中の松陰ですが、おとなしくしているはずもなく。
井伊直弼とその右腕・間部詮勝(まなべあきかつ)による独断政治に怒り爆発。
どうにもたまらんくなった松陰さんは、長州藩にあるお願いをするのですが、その内容に長州藩は衝撃を受けます。
「間部を暗殺するので、暗殺に使う武器を提供して欲しい」
これにびっくりした藩は、仮釈放中の松陰をまたも牢獄にいれます。