【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】

徳川慶喜は大正2年、いまから99年前まで生きていました。実は明治維新後の人生の方が長かった徳川慶喜の、“その後”は意外なものなんです。

徳川幕府最後の将軍といえば、徳川慶喜

徳川慶喜の写真
りりしいです。

在位わずか一年で幕府が崩壊。死罪必至でしたが、勝海舟らの交渉でなんとか免れました。さて、その後、慶喜明治大正時代にどんな人生を送っていたのか?

 

最後の将軍は趣味に生きました。

 

本当に多彩な趣味を持っていたのですが、たとえば、写真撮影

カメラを持って、よく屋外に撮影に出かけたそうです。実際に徳川慶喜が撮影した写真は現代にも残っています。たとえばこれ↓

徳川慶喜の撮影した写真(安倍川鉄橋上り列車進行中之図)
けっこう熱心で、当時人気だった写真雑誌『華影』にもたびたび投稿していましたが、なかなか採用されなかったそうです。



そして、油絵慶喜の腕前はこちら。

徳川慶喜の油絵
結構上手いように見えるが、どうなんでしょう!?

 

そして、ちょっと変わった趣味では、慶喜はなんでも顕微鏡で観察するのが好きでした。

ある日、彼は大好物のきな粉を拡大してみました。

きな粉

すると、保存状態が悪かったのか、拡大したきな粉には虫がいっぱい。

きな粉に虫
それ以来慶喜は、大好物のきな粉を口にすることは出来なくなったそうです。

最後の将軍さん、何してんですか…。

 

アウトドアも大好きだったようです。

毎日やってたのが弓道

徳川慶喜の弓道写真

鉄砲携えての狩猟

徳川慶喜 狩猟写真
イギリス紳士っぽいですね。(謎

そして、サイクリング。当時まだ珍しい自転車を乗り回していました。

徳川慶喜公、静岡で初めて「自転車」に乗るの図
ダルマ型自転車(オーディナリー型自転車)に乗る最後の将軍。

狩猟のときと同じ帽子ですね。お気に入りでしょうか?運動のために、しょっちゅう市中を乗り回していたそうです。(明治20年2月5日付『静岡大務新聞』より)

相当ハイカラです。

サイクリング中に美人に気を取られ看板に激突した、なんてエピソードも残っています。

 

手裏剣

十字手裏剣
棒手裏剣
名人の域だったそうです。たぶん使用していたのは右の棒手裏剣だと思います。



ほかにも、釣り、手芸、碁、将棋、能楽、放鷹、打毬、飯盒(はんごう)による飯炊きなども好んでやっていたらしい。

また、女性が好きで正室に加え側室2人と一緒に住んでいました(!)

一条美賀子(徳川慶喜の正室)
正室の一条美賀子
中根幸(徳川慶喜の側室)
側室の中根幸
新村信(徳川慶喜の側室)
側室の新村信

女性関係も奔放でエンジョイしていたようです。(明治維新前はさらに側室や妾がいました)

子供にも恵まれ、10男11女を授かっています。

 

自由気ままに生きる最後の将軍。

そんな徳川慶喜の生き方を快く思わない人たちもいました。

幕臣として箱館戦争に参戦し、新政府軍に最後まで抵抗した老中板倉勝静

老中・板倉勝静の写真
彼は明治に入りこんなことを言っています。

「慶喜と行動を共にしたことを後悔している」

 
ただ、一方でこんなエピソードも。

日本資本主義の父といわれる慶喜の家臣・渋沢栄一

渋沢栄一の写真
彼は2年間のヨーロッパ留学から帰国すると、慶喜が隠居している静岡藩から“官”として仕えるよう命令を受けました。

渋沢には、ヨーロッパで得た知識を“民”として自由に生かしたい思いがあり、この命令を断ります。

部下からのつれない返事。でも、慶喜はこんな言葉を掛けて送り出したそうです。

 

「これからはお前の道を行きなさい」

 

もしかしたら、自らがそれを実践して家臣の気持ちを楽にしていた、のかもしれません。

 

最後に、徳川慶喜の子孫の話を。

慶喜のひ孫、徳川慶朝(とくがわよしとも)さん。

徳川慶朝さん(徳川慶喜の子孫)
母方を通じて会津藩主・松平容保のひ孫でもあります。

徳川慶朝さんはプロのカメラマンとして、慶喜が大好きだけど上達しなかった写真の世界で活躍しています。

そして、ライフワークとして徳川家伝来の遺跡や歴史的建造物を撮影したり、慶喜が撮影した写真を書籍化して紹介したりしています。



スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
最新情報をお届けします

この記事を友達にシェアしよう!

投稿日: 投稿日:カテゴリ:カテゴリー 偉人, 現代に繋がる

幕末ブログ 関連記事

幕末ブログ 最新記事

あわせて読みたい 戦国・江戸時代の記事

“【写真あり】徳川幕府最後の将軍が、意外と余生をエンジョイしていた【教科書に載ってない】” への 3 件のフィードバック

  1. 読書と手芸と文芸と。 says: 2012年12月18日

    読書:最後の将軍

    司馬遼太郎、1997(新装版)。大政奉還、無血開城を行ったとして知られる最後の征夷大将軍、一橋慶喜。鳥羽・伏見の戦いでは兵士を見捨てて逃走し、その後も卑屈なほどの恭順を示し…

  2. […] 意外と平均身長が低かった江戸時代。幕府のトップに君臨した歴代の将軍と偉人たちの気になる身長をご紹介。 まずは将軍家から。 初代 徳川家康 身長 159cm 2代 徳川秀忠 身長 160cm 3代 徳川家光 身長 157cm 4代 徳川家綱 身長 158cm 5代 徳川綱吉 身長 124cm(!?) 6代 徳川家宣 身長 156cm 7代 徳川家継 (7歳で死去) 身長 135cm 8代 徳川吉宗 身長 155.5cm 9代 徳川家重 身長 151.4cm 10代 徳川家治 身長 153.5cm 11代 徳川家斉 身長 156.6cm 12代 徳川家慶 身長 153.5cm 13代 徳川家定 身長 149.9cm 14代 徳川家茂 身長 151.6cm 15代 徳川慶喜 身長 不明 (150cm台?) ちなみに、歴代将軍の身長のもとになっているのは、徳川氏の菩提寺である三河国(現・愛知県)の大樹寺にある歴代将軍の位牌。 この位牌は将軍の身長にあわせてつくられているといわれてます。遺骨改葬時の調査による推定身長との誤差もありますが、おおよそこんな感じだったよう。なお、最後の将軍である慶喜は位牌がないため不明となってます。 注目は、生類憐みの令で有名な5代将軍・綱吉。124cmだそう。 あと、「暴れん坊将軍」として人気の8代将軍・吉宗が意外と小柄で、歴史トリビア特有のソウジャナイ感が半端ない。156cmというとナイナイの岡村隆史ぐらい。ただ、吉宗は180cmを超える大男だった、という伝承もありますので、脳内ではそちらを採用したい。 では、江戸時代の偉人たちの身長も見てみましょう。※推定。諸説あり。 勝海舟 幕末に江戸城を無血開城に導いた幕臣です。ちゃきちゃきの江戸っ子。激動の時代に生きた海舟の身長はといいますと…… 身長=156cm 平均ど真ん中。 和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう) 天皇家出身のお姫さまで、14代将軍・徳川家茂の正室。明治天皇の叔母にあたるお方。天璋院篤姫と大奥でバトルを繰り広げたのは有名。 身長=143cm 体重=34kg ありえないぐらい華奢。現代の小学生のほうが体格良いのでは? 大塩平八郎 教科書でおなじみ「大塩平八郎の乱」の首謀者。もと役人ながら幕府に反旗を翻しました。 身長=217cm インターネット上をたびたび騒がすジャイアント平八郎。まあ、これは、さすがに信ぴょう性が…。 坂本龍馬 幕末のヒーロー。颯爽としたイメージがあるので高身長な気がしますが果たして。 身長=173cm 体重=80kg なかなかしっかりした身体してます。これはブーツが似合いそう。 西郷隆盛 維新の最大の功労者。薩摩藩出身。上野公園の像でおなじみ。大柄なイメージがありますが……。 身長=179cm 体重=108kg よかった!イメージ通り!やっぱり西郷さんはでっかくないと。 最後に、平均身長155cmの江戸時代にあって規格外の巨漢を誇った人物をご紹介。 雷電為右衛門(らいでんためえもん) 江戸時代後期に活躍した力士。勝率.962という無双の強さで、「大相撲史上未曾有の最強力士」ともいわれる伝説的な力士です。 身長=197cm 体重=172kg でかい、でかすぎる。ジャイアント平八郎にはおよばないにしても、ものすごい巨漢です。雷電の手形がいくつか残っていますが、手形も超ビッグ! ほかにも江戸時代の力士は巨漢がたくさんいました。 生月鯨太左衛門(いきつきげいたざえもん) 江戸時代後期の力士ですが、とにかく巨大なことで有名。 身長=227cm 体重=169kg 手形=長さ25cm、幅11cm すごい。 生月は赤ちゃんの時から大きかったとか。しかし、巨漢ながらとっても優しかったそうです。気は優しくて力持ち。 いかがだったでしょうか。身長にはまだまだ解明されていない点も多いので推定もありますが、興味がつきません。 .post-page-content{color:#444}h3{font-size:1.6em;border-top:1px solid #CCC;padding-top:15px;margin:40px 0 10px;line-height:1.45}.catch{font-size:1.5em;font-weight:bold;margin-top:40px}h4{font-size:1.1em;font-weight:bold}.strong{font-weight:bold;font-size:1.1em}.strongLV1{color:#009900;font-weight:bold;}.strongLV2{color:#009900;font-weight:bold;font-size:1.8em}.strongLV2R{color:#FF0000;font-weight:bold;font-size:1.1em}.caption{font-size:0.85em;color:#666;line-height:1.2}#thumbGallery{font-size:0.8em;margin:0 auto;line-height:1.4;width:100%;margin:0 auto}#thumbGallery div{width:100px;margin: 10px 4px 0;display:inline-block;vertical-align:top}#thumbGallery span{font-weight:bold}#thumbGallery p{font-size:1.25em;font-weight:bold;margin:0;line-height:1}#thumbGallery p span{font-size:0.65em;font-weight:normal;color:#666;padding:0.5em}#thumbGallery div img{width:100%;height:auto}@media screen and (min-width:0){#thumbGallery div{width:100px}@media screen and (min-width:375px){#thumbGallery div{width:100px}@media screen and (min-width:414px){#thumbGallery div{width:100px}@media screen and (min-width:800px){#thumbGallery div{width:100px} […]

  3. […] 教科書に載ってない】 | 幕末ガイド http://bakumatsu.org/blog/2012/05/yoshinobu.html […]

コメントは受け付けていません。