• 更新日:2017年5月4日
  • 公開日:2012年5月26日



ペリー提督の写真
ペリーの航海記から引用します。※以下、2人とは吉田松陰と松陰最初の弟子・金子のこと。

「厳しい国法を犯し知識を得るために命をかけた2人の教養ある日本人の激しい知識欲は興味深い。この不幸な2人の行動は日本人に特有なものと信じる。日本人の激しい好奇心をこれ程現すものは他にない。日本人のこの特質を見れば、興味あるこの国の将来には、何と夢に満ちた広野が、何と希望に満ちた期待が開けていることか! 」


この後、松陰は牢獄に入れられます。

周りはなんて馬鹿なことしたと思ったでしょう。松蔭はこの時の気持ちを一句詠んでいます

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(このようなことをすれば、こうなることはわかっていた。しかし、それでも私を行動に踏み切らせたのは、日本を想う心に他ならないのだ。)

 
あ、ちなみに松蔭は、生涯で何回も牢獄に入れられていて、最終的には前科5犯です。

そういう意味では、けして聖人君子ではありませんね。

 
この後、吉田松蔭は仮釈放になって牢獄から出ます。そして、謹慎中の家で近所の人相手に講義を始めますが、これが松下村塾なんです。

この松下村塾からは高杉晋作久坂玄瑞、初代内閣総理大臣・伊藤博文などのそうそうたる面々が育ちました。

高杉晋作の肖像画
長州藩を救った男
高杉晋作

久坂玄瑞の写真
尊王攘夷の推進者
久坂玄瑞

伊藤博文(伊藤俊輔)の写真
初代内閣総理大臣
伊藤博文

山田顕義の写真
戦術の天才
山田顕義


さて、仮釈放中の松陰ですが、おとなしくしているはずもなく。

井伊直弼とその右腕・間部詮勝(まなべあきかつ)による独断政治に怒り爆発。

間部詮勝の写真
間部詮勝

どうにもたまらんくなった松陰さんは、長州藩にあるお願いをするのですが、その内容に長州藩は衝撃を受けます。

 

「間部を暗殺するので、暗殺に使う武器を提供して欲しい」

 
これにびっくりした藩は、仮釈放中の松陰をまたも牢獄にいれます。

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