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着物の柄と色使い

中年期の作品ですが番外編として紹介。幾重にもかさなる着物の柄と色使いがなんとも華やか。
親子合作

この鮮やかで力強い浮世絵。真ん中の獅子が葛飾北斎の作、周りの花を描いたのはその娘であり絵師である葛飾応為(かつしかおうい)。天才絵師2人による親子合作です。
天と地と
左/雨中の虎図(1849年)、右/雲龍図(1849年) 葛飾北斎 88歳ごろ北斎最晩年の作品。大地にしっかりと足を踏みしめ、天にむかって咆哮する虎と、黒雲のなかから現れた龍。森羅万象を描きたいと願った北斎は天と地を筆でつなごうとしたのかもしれません。
昇り龍

北斎が死の3ヶ月ほど前に描いたといわれこの作品が絶筆ともいわれています。天に昇る龍は死が近づくのを悟った北斎自身なのかも。
北斎はこんなことを記したことがあります。
「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。」
北斎は数え年90歳になって、この世を去ります。彼の言葉を借りれば、奥義に極めた年齢。
しかし、彼の最後の言葉は次のようなものでした。
「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」
(もうあと5年長生きできたら、本当の画工になることができたものを)最後に。
葛飾北斎の自画像を紹介します。

鬼気迫る様です。それもそのはず。北斎は、晩年自らをこう号していました。
「画狂老人卍」(がきょうろうじん まんじ)
現状につねに満足せず、引っ越し93回、改名すること30回。
生涯現役として描いた絵は3万点。
「世界第一の画工になる」と本気で宣言し、80歳を越えても、「猫一匹も描けない。意のままにならない」と、悔し泣きをした老人。
それが葛飾北斎でした。
北斎の辞世の句です。
「人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原」
(人魂になって、夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか)以下もあわせてどうぞ。