まずは福澤諭吉。
僕らが知ってる一般的な諭吉。
慶應義塾大学創立者。一万円紙幣の肖像です。教育者としての威厳がびしびし伝わってきます。
「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、人ノ下ニ人ヲ造ラズ」はあまりに有名。
そんな福澤諭吉がまだ若い頃の写真ですが…
不敵…!
このふてぶてしい青年が、一万円の諭吉さんとホントに同一人物なのか、にわかには信じがたいです。
どうもこの時は諭吉の私生活でなにかあったのか、こんな写真とかも残されています。
一体なにがあったんでしようか?
あの福澤諭吉が、我々現代人がよく陥る「どーだっていいよ」状態になってます。
オランダ留学中の写真ですが、とにかくなんかやる気を失っています。
…ま、人間こういう時もありますよね!
一ついえることは、福澤諭吉はけっこう人間くさい人だったってことです。たとえばこの写真。
アメリカ留学中に写真館の少女と撮影。
異国の少女とのツーショットというレア感が良かったのか、福澤諭吉はこの写真をたいそう気に入ったらしく、帰国後によく自慢して見せびらかしたそうです。
並べてみましょう。
続いて、谷干城(たにたてき)。
西南戦争において、西郷隆盛軍の進軍を熊本城で食い止めた名将です。
その日数なんと52日。写真からは、篭城戦をひたすら耐え忍んだ真面目さが伝わってきますね。
そんな谷干城の教科書には載らない写真がこれ。
どうしたどうした、谷さん?
幕末写真でこのポージングは相当エッジがきいてるぞ!?
あと、谷さんはこんな写真も。
うーん、あれだ、格好つけなんですね。
でも、やるときはやる男だから彼は文句なく格好いい。
並べてみましょう。
維新の三傑・大久保利通。
いろいろな意見はありますが、現代に繋がる官僚制の礎を築いた偉大な人です。
キリッ!
存在感のあるひげは偉人の貫禄の証、といったところでしょうか。
ただ、人間なんでこういう時もありました。
全体的にちょっとボリュームが足りないようです。
どっちを教科書に採用するかといったら、やっぱりひげがゴージャスな方ですよねー。
並べてみましょう。
ちなみに明治維新前の、若かりし大久保さんはというと、
完全に渋谷のモヤイ像です。本当にありがとうございました。
並べてみましょう。
髪型でもう一人いきましょう。
明治維新の立役者である剛腕政治家・岩倉具視。
今回はせっかくの企画なんで岩倉具視さんの髪型集をつくってみました。
右のやけくそ(?)写真は、自らが長となり諸外国をまわって関係改善をはかった岩倉使節団の時です。
厳しい交渉になることは事前にわかっていたので、ファーストインパクトで列強の度肝を抜いてやろうという岩倉流の交渉術なんでしょうか。
よくわかりません。
次。
カミソリ大臣と言われた陸奥宗光。
幕末では、海援隊で坂本龍馬の右腕として活躍しました。
これ、変というわけではないんですが、陸奥が妻と息子と撮ったファミリー写真。
…外国人?
一家揃って、みんなして外人顔です。特に息子の日本人ジャナイ感がすごい。
まあ、陸奥さんはこんな和風なときもありますが。
なんでこんな格好をしてるのかは謎です。
次行きましょう。
板垣退助。
この写真がよく載っているかな?
自由民権運動の主導者。
暴漢に襲われた後に語ったとされる言葉「板垣死すとも、自由は死せず」はあまりに有名。(本人が言ったかは実は諸説あり)
そんな彼の幕末時は、こちら。
殺し屋?
写真越しに伝わる殺気が凄くこわい。
死すとも〜っていうか、どっちかっていうとむしろ殺ってしまう側にみえる。板垣は、若い頃は坂本龍馬と荒っぽいことをやってましたし迫力が違います。
並べてみましょう。
最後に。
第2代内閣総理大臣、黒田清隆。
新政府軍VS旧幕府軍の最後の戦いといえば箱館戦争ですが、彼はそこで新政府軍の参謀を務めました。その後、北海道開拓でも多大な功績を残しています。薩摩出身でダンディな雰囲気を醸し出しています。
そんな黒田清隆のちょっと変わった写真がこれ。
黒田は左。なぜかペロリと坊主になっています。本人も坊主には慣れていないよう。
これ、ある人の命を助けたいがための行動なんです。
その人とは箱館戦争で死闘を繰り広げた旧幕府軍の将・榎本武揚。
榎本に降伏をすすめた黒田は、明治時代になってからも死罪必至だった榎本を救おうと行動していました。
そんな黒田の働きにより、明治5年に榎本は死罪を免れ謹慎処分となり、その後新政府で活躍することとなります。
並べてみましょう。
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