吉田松陰はこの人。
多少厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかに見えますが、この人の人生は無茶の連続でした。
たとえば、21歳の時、松陰は親友と東北旅行を計画します。しかし、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、友と約束していた旅行日に間に合いそうにありません。
そこで彼はどうしたか?
しょうがないので、松陰は死罪覚悟で脱藩します。
いくら目的が東北の海防調査という意義深いものとはいえ…。
旅行の約束をした親友・宮部鼎蔵(みやべていぞう)も正直ドン引きしたと思います。
「なにもそこまで…」 ※管理人の想像 |
さて。吉田松陰 23歳の時、黒船が来航しました。
当時は鎖国まっただ中。武士も農民も、畏敬と好奇の目でアメリカ艦隊を遠巻きに見ています。
そんななかで松陰。
彼はこれを「先進国に外国留学するチャンス!」と捉え、黒船に乗り込み密航させてもらおうと考えました。
「外国に対抗するには、その外国文明自身を徹底的に盗んでやろう。」
吉田松陰の凄さは徹底的に実践するところ。この場合も可能かどうかを悩む時間も惜しいのか、特に周到な計画も立てずに、
盗んだ小舟でアメリカ艦隊に横づけし、黒船のデッキに乗り込みます。
吉田松陰が実際に乗り込んだ黒船・ポーハタン号↓↓
当然追い返されました。
追い返されたのですが、このクレイジーな出来事はペリー提督をたいへん驚かせました。
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