年齢で見る幕末志士
70歳で亡くなった幕末志士・偉人
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該当する幕末志士・偉人
亡くなった年齢でまとめることで意外な発見があります。
大久保一翁
おおくぼいちおう
- 出身
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徳川幕府
- 生年月日
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1818年1月5日
- 没年月日
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1888年7月31日
- 年齢
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満70歳没
幕臣の中でも、類いまれな実力を持つ官僚。勝海舟の出世の道を開いたことでも知られる。安政の大獄では井伊直弼と政治的に対立したが、大老である井伊の強権発動により失脚した。のち、幕末の混乱収束のため、勝海舟や山岡鉄舟とともに、江戸城の無血開城に尽力した。後年、東京府知事もつとめた。
「当世第一等の人物」と評価された。 (続きをみる)
島津久光
しまづひさみつ
- 出身
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薩摩藩
- 生年月日
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1817年12月2日
- 没年月日
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1887年12月6日
- 年齢
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満70歳没
明治維新時における薩摩藩の実質的な最高権力者。島津斉彬は異母兄。島津忠義は長男。明治維新後は、薩摩藩内にて絶対的な権力を持ち続ける。元家来の西郷と大久保が断行した廃藩置県(明治4年)に激怒し、自宅庭で花火を打ち続けた逸話はあまりに有名。明治7年、左大臣となる。ひ孫に香淳皇后(昭和天皇の皇后)、つまり久光の玄孫(やしゃご)は今上天皇(平成天皇)である。 (続きをみる)
伊東祐亨
いとうすけゆき
- 出身
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薩摩藩
- 生年月日
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1843年6月9日
- 没年月日
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1914年1月16日
- 年齢
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満70歳没
薩摩藩士。日本海軍の初代連合艦隊司令長官。勝海舟の神戸海軍操練所で、塾頭の坂本龍馬や睦奥宗光らと海軍の英才教育を受ける。政界に転身することなく、生涯を一軍人で全うした。 (続きをみる)
松平太郎
まつだいらたろう
- 出身
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徳川幕府
- 生年月日
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1839年0月0日
- 没年月日
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1909年5月24日
- 年齢
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満70歳没
幕末の陸軍奉行並。戊辰戦争では榎本武揚らと共に蝦夷地(北海道)まで渡り、最後まで戦いを続けた。蝦夷共和国副総裁である。(公選入札(選挙)において、当選した榎本武揚に次ぐ得票数だった)
榎本の女房役として民政・外交面で活動。「榎本の洋才、松平の和魂」といわれた。
戊辰戦争終結後は、榎本や大鳥らと同じく、東京辰ノ口糾問所に禁固。明治5年放免され新政府に仕えた後は、貿易商などを営むが商売の才能は乏しくうまくはいかなかった。 (続きをみる)
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鷹司輔煕
たかつかさすけひろ
- 出身
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朝廷
- 生年月日
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1807年12月5日
- 没年月日
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1878年11月9日
- 年齢
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満70歳没
孝明天皇時代の関白。父はやはり関白である鷹司政通。
右大臣時代に三条実万らとともに、戊午の密勅を孝明天皇から引き出すよう宮廷内で運動したため、安政の大獄で失脚、謹慎となる。その後、復帰し関白に就任するも、尊王攘夷派が宮廷内を掌握していた幕末の混迷期に、まったくといっていいほど政局に関与できず、またも失脚した。その後も、禁門の変において久坂玄瑞が鷹司邸で自害したことで、あらぬ嫌疑を掛けられたりと、政局において存在感を存分に発揮することが出来なかった。 (続きをみる)