年齢で見る幕末志士
65歳で亡くなった幕末志士・偉人
現在7人が登録されています。
該当する幕末志士・偉人
亡くなった年齢でまとめることで意外な発見があります。
愛加那
あいがな
- 出身
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薩摩藩
- 生年月日
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1837年0月0日
- 没年月日
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1902年0月0日
- 年齢
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満65歳没
西郷隆盛の妻。西郷が奄美大島に流刑になっていた際に、結婚。菊次郎をもうける。
西郷が後に鹿児島に帰還した際に、島に残りそのまま生涯島から出ることはなかった。
息子・菊次郎は後に西郷の後妻・イトに引き取られ、台湾・宜蘭庁の初代庁長や京都市長となる。 (続きをみる)
島津珍彦
しまづうずひこ
- 出身
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薩摩藩
- 生年月日
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1844年12月1日
- 没年月日
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1910年6月16日
- 年齢
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満65歳没
島津久光の息子。
名をよく変えた(紀寛→忠鑑→珍彦、通称は敬四郎→又次郎→周防→常陸→備後)。妻は島津斉彬の娘・典子。
禁門の変、鳥羽・伏見の戦い、箱館戦争に参戦して軍功をあげる。
終戦後は、照国神社宮司や鹿児島県立中学造士館館長を歴任。のち、貴族院議員となる。 (続きをみる)
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石井宗謙
いしいそうけん
- 出身
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美作勝山藩
- 生年月日
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1796年0月0日
- 没年月日
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1861年6月30日
- 年齢
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満65歳没
幕末の医学者。
現在の岡山県真庭市で医者の子として生まれ、長崎に渡りシーボルトの鳴滝塾で西洋医学とオランダ語を学ぶ。
36歳で美作勝山藩の藩医となり、その後開業。
49歳の時に、同じシーボルトの門弟・二宮敬作の斡旋により、産科医を志していたシーボルトの娘・楠本イネ(オランダお稲)を預かり、7年に渡り産科医としての技術や知識を教えた。
のち、オランダ語の知識を買われ、徳川幕府に翻訳者として召し抱えられた。 (続きをみる)
上野彦馬
うえのひこま
- 出身
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徳川幕府
- 生年月日
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1838年10月15日
- 没年月日
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1904年5月22日
- 年齢
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満65歳没
日本の「写真の祖」といわれる。
天領・長崎生まれ。
日本における最初期の写真家であり、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文といった幕末の志士の写真を数多く撮影したことでも知られる。
また、西南戦争の戦跡を撮影したことで日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)となる。
日本最初期の写真館(上野撮影局)の開業や、富重利平や薛信二郎などの後進の育成で、日本の写真業繁栄に多大な功績を残した。号は季渓。 (続きをみる)
岩崎弥次郎
いわさきやじろう
- 出身
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土佐藩
- 生年月日
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1808年0月0日
- 没年月日
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1873年7月28日
- 年齢
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満65歳没
土佐藩の地下浪人である。
三菱財閥創業者・岩崎弥太郎および二代目総帥・岩崎弥之助の父であり、三代目総帥・岩崎久弥、四代目総帥・岩崎小弥太の祖父にあたる。 (続きをみる)
山川二葉
やまかわふたば
- 出身
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会津藩
- 生年月日
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1844年9月30日
- 没年月日
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1909年11月14日
- 年齢
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満65歳没
明治の教育者。山川浩、山川健次郎、大山捨松の実姉である。
会津戦争では会津若松城の防衛戦に武器を取り参戦。会津藩家老・梶原平馬と結婚するも、その後離婚。
明治時代に入ると、女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)にて28年に渡り勤務。 (続きをみる)
豊原国周
とよはらくにちか
- 出身
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徳川幕府
- 生年月日
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1835年5月30日
- 没年月日
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1900年7月1日
- 年齢
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満65歳没
幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師。師は、豊原周信および歌川豊国(三代目)。画号は国周の他、一鶯斎、豊春楼、花蝶斎、花蝶楼、華蝶斎、華蝶楼、一桃、歌清舎、曹玄子、米翁、鶯斎。 (続きをみる)